甲陽学院38回生の江嵜健一郎と申します。
母校甲陽学院が高校野球兵庫予選に出場するというので楽しみにして尼崎記念公園球場へ駆けつけた。
この球場はJR神戸線尼崎駅からゆっくり歩いて徒歩約15分のところにある。相手は強豪尼崎産業高だったので3年生一人の母校は、はじめから苦戦が予想された。
結果は0-9のコールドゲーム負けだった。一回表、相手チームの先頭打者にセンターオーバーのランニングホームランを打たれ出鼻をくじかれ、あっという間に初回3点とられたことが悔やまれる。
こちら神戸阪神地区には、気象庁の梅雨明け宣言はいまだない。しかし、セミは先刻ご承知なのだろう、4~5日前から鳴きはじめている。この日も朝から蒸し暑かった。30度Cを軽く超えていたであろう。
一塁側スタンドには200名近い応援団がつめかけた。野球部のご家族の方であろう冷たいものが一人ひとりに配られた。関係者の皆様のご苦労にあらためて感謝した次第である。
スケッチに夢中になっていたところ筆者の名前を呼ぶ人がいる。なんと某合繊メーカーのI さんだった。奥様と例年母校の応援に駆けつけられるのだそうだ。聞くとはなしに理由をお尋ねしたら、ご子息が母校野球部におられた。現在はポートアイランドの神戸市民病院で心臓外科専門のドクターとして昼夜奮闘しておられると聞いた。
野球部で鍛えた頑健な体と野球で学んだチームワークがいま生かされているのだと思った。
知るひとぞ知る世界であろうが、甲陽学院が大正12年(1923)第9回の夏の大会で全国制覇した名門校であると試合前のスタンドで盛んに昔話を披露しているさる老人の声が聞こえた。
信じられない話であるが、聞くところによれば今年母校中学野球部になんと60名近い部員が入ったそうだ。母校は2年前から中高6年間一貫教育システムに変わった。勉強は当然ながら好きなスポーツにも余裕を持って精を出せるようになった影響かもしれない。
日本は勉強だけ出来れば事足りるような甘い世の中は終わった。
2~3年先には猛暑の中この日の相手チームのように、グランドを嬉々として走りまわる強い母校の後輩の姿が見られるかもしれない。期待している。(了)