母校が夏の甲子園兵庫大会予選に、この日、はじめて顔を見せる。ところが、会場の淡路佐野公園球場がどこにあるかがまずわからない。ヤフーで調べたところ、津名港行 きのバスはほぼ1時間に一本出ているが、球場前行きのバスは朝晩のみ、しかも本数が少ない。結局、三宮バスターミナルで高速バスで津名港まで行き、タクシーに乗り換え現場を往復した。 

母校が淡路で試合をやってくれたお陰で、はっきりと白い波頭を見せる海を遠望できる素晴らしいスタンドの様子をスケッチ出来幸いだった。往路のタクシーの運転手に聞いたところ、ここは、昔。海だったそうだ。野球場は第1と第2ある。他にサッカー競技場が3ケ所ある。2002FIFAワ―ルドカップの際、イギリスチームが練習基地として使い、べッかム選手見たさに集まったサッカーファンで大賑わいだった。野球場は、左右100M,センター122Mの天然芝の本格球場で、プロ野球の二軍の試合も時々行われると、今度は帰路に乗ったタクシーの運転手が教えてくれた。

朝10時からの第一試合、洲本対加古川東の試合は既に始まっていた。さすが地元、スタンドは溢れんばかりの盛況だった。今年センバツにも出場した試合巧者、洲本高校が8対1で7回コールド勝ちした。第一試合が終わり、一塁側だった洲本応援のお客が球場を去った。

第二試合、母校は一塁側だった。一塁側に陣取った選手のお母さん方はじめ選手のご家族、先輩など母校関係者で100人ほどだった。応援は数ではない。お母様方から冷たい飲みものの差し入れもいただいた。あらかじめ配られた「一球入魂」のウチワ、特製メガホン打ち鳴らし声援を送った。

初回にいきなり点を入れたのは豊岡だった。豊岡は3回に1点いれ0対2となった。母校も4回、相手のミスに乗じて1対2と迫ったが、あと一本が出なかったことが惜しまれる。上野投手もランナ―を許しながらも懸命に試合を立て直し、緊迫した投手戦の様相に変わるかと思われた。勝負を分けたのは、豊岡6回表の攻撃である。2アウトまでこぎつけた。ランナー2塁3塁、フルカウントまで来た。おそらく四球を嫌って投げたのであろう、打ちごろの球を三遊間を破られ、1対4と母校は一挙に劣勢に立たされた。

上野投手にとってあの一球は一生忘れられないだろう。「もし」は許されないが、あの時、豊岡の打者が凡打しておれば、逆に母校に流れが来たかもしれない。まだまだま人生は長い。たかが野球、されど野球である。言わずもがなではろうが、母校後輩たちが、野球から多くのことを学んでくれるに違いないと思いながら球場を後にした次第である。(了)


38回・江嵜健一郎