第15回山口100萩往還マラニック2度目の参戦記録


第12回の萩往還250キロ完踏以後、幾多の障害に遭遇すれどそれらを克服してついに3年ぶり にスタートラインを踏む。以下はその挑戦記録です。

GPS、カメラつきの携帯による走行の軌跡もご覧ください。




2003年5月2日(金)

3時 山口県警武道館にて説明会。マラソン仲間の藤原君(3年前70キロ1位)と、
     エ-ルの交換。説明会兼開会式は別にどうと言うことは無く終了。すぐ近くの
     レストランへ。お寿司の定食を食べる。
6時 スタ-ト。 35キロも含めて3度目の瑠璃光寺、やはり夕日に映えて美しい。前
     ほどの緊張感はない。ランナ-ズに特集されたこともあり、初参加の方が多い
     らしい。いつもの270名もより30名多い300名の参加。50名ごと、5分
     間隔のウエ-ブスタ-ト。少しでも早いほうがよいと、第1ウエ-ブにするが、
     これが後で後悔することになる。第1ウエ-ブにはギネスにものろうかという高
     名なSさんはじめ、250が3日目の早くゴ-ルすればそのまま、その日の5時
     スタ-トの70キロを続けさまに走るというすごいひと。(この人は70キロ地点
     で私より1時間早かったがかなりダメ-ジで実現されたかどうかはわかりません)
     最初のエイド(午後7時20分)までは前回と同じペ-スで話ながらのリラックス。
     ただ第1ウエ-ブのため、全体のどのくらいの位置かわからない。エイド
     のあと暗くなって 一人になったのが悪かった。すべてにおいて前回と比べるのも
     よくない。ひとりでペ-スアップしてしまった。            
11時 豊田湖着。途中大阪の人と二人で走るもうしろから追っかけら感じであせる。しかも
     夜中に徘徊のおじいさんが車にはねられかけ。僕が来た車に合図をしなければ間違い
     なくはねられていたという感じ。豊田湖時点で足が痛く不安。57キロ。
     一人で走る。豊田湖で足もみ、エアサロがきいて走れ出した。半パンで走っていたが
     冷えてきて、ポ-チの中のロングスパッツに替える。夜が明けてまもなく海湧食堂。
4時50分 食堂着。水気のたりないおかゆは食べにくい。足もみ、エアサロ。途中大阪の
    60才の方と。5回連続リタイアしてまだ未完踏らしいが、この調子ならいけるので
    は、と人のことばかり気になる。俵島の最先端。韓国が見えるかとエイドのおばさん
    にたずねたら、それは無理とのこと。
8時30分 川尻岬。ここで着替え。107キロ。カレ-も喉にはいりにくい。この時点
    でも、70優勝の藤原君に追いつかれていない。彼も慎重に走っているのでしょう。
    これから千畳敷へむけて、極端な急坂。立石観音のチェックの前でアイスを食べたが
    腹も少しおかしく、水分の取りすぎが気になりだした。これが命取りになるかもと思
    いだした。
12時10分  とりあえず千畳敷につくも、気力がなぜか、うせた。腹の調子と足の張り。
    千畳敷の降りる道も超急坂。これ見てリタイア決めた。しかし、収容バスまで問い合
    わせると2時間ある。歩いて降りれば、後で思ったが、いちどリタイアときめると
    気がのらない。ここでおわびメ-ルを打つ。2時間まって宗頭の収容宿舎へバスで。
      着くと前回道案内でお世話になった友野さんが早々とリタイアして、ボランティア
    として収容バスのお世話をしている。昨年故障して今年は早々とあきらめたらしい。
    宿舎につくと風呂もわいて、食事もできるとはきいたが、風引きそうな、お湯に
    おにぎり3個。贅沢はいえません。
      早いリタイアなので端の場所で午後5時頃でしょうか、とにかく寝ました。ふとん
    1枚に2人。7時ころでしょうか、となりに同世代の女性が10センチの間隔で寝て
   ました。「せきをするからその時は蹴ってください」というが早いか、いびきをかいて
   寝てました。何人かは山口まで乗合でタクシ-で帰ってました。
     翌日8時発で宗頭を出て10時に萩でバスの乗り換え、10時半ぐらいにはゴ-ル
   地点につきました。バスの中でもすごい話。 となりの方は宗頭まで楽勝に来ながら
   リタイア。盛んにくやしがる。かなりのランナ-とお見受けした。さらにすごいの
   は、大津の若者。練習に琵琶湖一周200キロを走って、しかも夜中に宗頭を通り越し
   鎖峠で寒さでうごけず、助けを求めたらしい。また、3勝2敗という人。萩はウルトラ
   の中でも、その景色の壮大さ、アップダウンのきつさ、温度差の大きさ、今回は晴れ
   ですが、ほとんど大雨という天候、という点で別格と評論されていた。主催者の小野
   先生も月に500キロ走っているからといっても完踏できるとは限らないのが萩だと
   おっしゃている。夜中の宿舎で私の枕もとの靴下をさわっているとなりの人。私の
   靴下のやわらかさに関心。研究熱心です。でも、私も一度でも完走したといえば
   未完走のひとは大変うらやましがっていました。
     リタイアでくやしさが倍増、来年にリベンジ。来年になればわかりませんが、今は
   その気持ちです。
     3年前は「死んでも走る」で今回は「死んだら走れん」でした。
   皆さん、やってみなければ何事も始まりません。ぜひ、来年、おなじスタ-トラインへ                   

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